歴史
加賀鳶は加賀藩の江戸屋敷周辺を守る大名火消として誕生し、江戸の人々の注目を集めました。明治維新とともに一時金沢に移住し、この時継承されたはしご登りの技が、現在も消防団員によって演じられています。
享保3年(1718年)、八代将軍吉宗が禄高一万石以上の藩に対し、江戸藩邸を守る大名火消を設置するよう命じたのを受けて、加賀藩では江戸上屋敷の防備のため設置されていた自衛消防隊を豪華なものに増強しました。これが加賀鳶の始まりであるとされています。
加賀藩お抱えの火消しは、勇猛果敢な活動と華麗な装備で知られ、当時の浮世絵や歌舞伎の題材になったこともあり、大名火消しといえば加賀鳶のことを指すようになったのであります。
明治に入り江戸藩邸にあった加賀鳶38人が金沢に移り住み、江戸の技と金沢在来の技が融合し今日の姿になったものと考えられます。現在では金沢市第一、第二、第三消防団で梯子登りを実施しており、昭和48年には「加賀とびはしご登り保存会」を設立し、加賀鳶梯子登りの伝統ある妙技の伝承に努めています。
加賀鳶梯子登りの由来
梯子登りは江戸時代、火消しが火災現場で高い梯子を立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことが始まりで、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸、勇気をつけるためにも行われたと言われています。
火消し達は威勢と気魄を信条に、身軽な仕種と熟練した技をもって、住民の前にその演技を披露するとともに、消防の重要さを訴える役割も担っていました。この梯子登りを最初に行ったのが加賀鳶で、いわゆる日本の梯子登りの元祖です。
消防団との関係性
江戸時代に勇名を馳せた加賀鳶の流れを受け継ぎ、威勢と気魄を信条とした歴史ある加賀鳶梯子登りの演技と気風を永く後世へ伝えるため、金沢市の全消防団員は生業の傍ら、消防団活動および保存会活動を行っています。
また、平成14年には「金沢子どもはしご登り教室」を開講し、勇壮、華麗な妙技を子ども達へ伝承する活動も行っています。