設立当初から現在まで、加賀とびはしご登り保存会のこれまでの歴史をご覧ください。
昭和48年 保存会の設立
「加賀鳶梯子登り」は、古くから受け継がれてきた文化的遺産の一つであり、威勢と気概を信条として、出初式や百万石まつりを機会に広く市民の前で披露されていましたが、時代の流れによりその承継を保持し得ない憂いもあったことから、計画的に保存と伝承を図るために、金沢市の第一、第二、第三消防団で「加賀とびはしご登り保存会」を結成しました。
昭和53年 バッファロー市(アメリカ)親善訪問
金沢市の姉妹都市であるバッファロー市に親善訪問し、日本の義勇消防と加賀鳶梯子登りを紹介・披露しました。
昭和55年 消防百年記念消防団全国大会
明治13年に消防組が初めて天覧の光栄に浴したのを記念するとともに、全国の消防団の団結と士気を高めるために東京の後楽園球場に開催された大会において加賀鳶梯子登りを披露しました。
昭和58年 自治体消防35周年記念大会
北の丸公園(東京都)を会場として全国から2万5千人の消防団員が集まり、この中でただひとつ選ばれた加賀鳶梯子登りが天覧演技を行いました。
平成7年 金沢市無形民俗文化財に指定
前年の金沢市文化活動賞の受賞に続き、平成7年10月11日に金沢市の無形民俗文化財に指定されました。当時は加賀鳶梯子登りをきちんと指導できるベテランは2人しかいなかっため、技術伝承のために、指導者組織づくりを本格化しました。
平成9年 シンガポールで開催された「チンゲイパレード」で演技披露
シンガポールの最大イベントである「チンゲイパレード」で観光石川の魅力を発信するために、加賀鳶梯子登りが派遣されました。
平成14年 金沢子どもはしご登り教室の開設
未来を担う子どもたちが加賀鳶梯子登りの演技を見て、梯子に触れて、さらに子どもはしご登りを体験させることにより、伝統文化への関心を高め、郷土愛護の精神、団結力、協調性を育むことを目的とし教室が開設されました。以後、子どもはしご登りの指導者のもと練習に励んだ結果、百万石まつりを始め数々のイベントに出演しています。
平成15年 梯子の自主製作開始
平成6年時点で梯子を製作できる職人は水野喜浩氏(当時70歳)一人のみでした。梯子は大工職の経験はもとより、竹に関する知識や竹加工の経験がないと製作できないこと、年10本前後の需要しか見込まれないこと、そして何よりも梯子登りという危険を伴う演技に用いられることから、職人の中でも敬遠されるものでした。
この状況の中、たとえ職人が見つかったとしても、いずれ同じ壁にぶつかるのは目に見えていたため、「それなら、自分たちで作ろう」と消防団で有志を募り、職人に弟子入りした10人が職人技を学び、竹選びから組み立てまですべてを手がけることとなりました。
平成21年 「加賀鳶梯子作事所」竣工
これまで梯子作りの技術伝承を目的とした作事所は、はしご製作指導部員のご自宅や金沢職人大学校内にありましたが、長さ6mにも及ぶ梯子製作には10mの長さの作業スペースが必要で手狭であったため、「加賀鳶梯子作事所」が建設されました。
平成21年 石川県指定無形民俗文化財に指定
後継者の育成や伝統の保持に尽力した結果、伝統文化として市の枠を超え、県民に広く親しまれていることとから、平成21年12月1日に石川県指定無形民俗文化財に指定されました。
平成28年 加賀纏(かがまとい)製作が金沢市の選定保存技術に選定
唯一の加賀纏職人、坪野進氏の技術を伝承するため金沢市は加賀纏製作を選定保存技術に選定しました。
平成30年 加賀鳶発祥300年の記念事業を展開
加賀藩5代藩主前田綱紀により享保3(1718年)に創設された、「加賀鳶」が平成30年で300年を迎えました。発祥300年の節目として、金沢市の姉妹都市であるフランス・ナンシー市の世界遺産「スタニスラス広場」で演技を行うなど、加賀鳶の歴史と文化を国内外へ広く発信しました。
令和元年 石川県文化功労賞を受賞
多年にわたり、加賀鳶梯子登りの伝承・普及に尽力し、後進の指導・育成に取り組んだ功績が讃えられ、石川県文化功労賞を受賞しました。
令和3年 養老鳶はしご登り会と友好協定を締結
加賀とびはしご登り保存会と養老鳶はしご登り会(岐阜県)が交流を促進させ、それぞれの特色を活かしながら、はしご登りの魅力を高め合うことで、両者の発展に寄与することを目的として、協定を締結しました。
※平成29年の「養老改元1300年祭」で、養老鳶はしご登り会がはしご登り演技を披露するにあたり、平成26年に加賀とびはしご登り保存会に演技指導の依頼に金沢市を訪れたことが始まりで、その後も毎年、合同練習やはしご製作の作業協力などを通して、交流を深めています。
令和5年 加賀とびはしご登り保存会設立50周年
これからも加賀とびはしご登り保存会は、加賀鳶が江戸の加賀藩邸を守るために命をかけて奮闘していた「火消しにかける心意気」を継承し、その伝統文化を保存し広めるために活動を行っていきます!